寺田町通信 vol.41 −ALL
DAY
MUSIC−
不定期刊 第41号 2003年2月1日発行
編 集 寺田町オフィス
発行人 加納 荘八
発行所 寺田町オフィス
〒167-0034 東京都杉並区桃井2-1-6シャトレー・オギ302
tel.&fax.03-5932-1341 e-mail
scara@nifty.com
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【今回の内容】
1.ライブスケジュール
2.不良中年(見習い)はいかにして作られたか−その6/寺田町
3.いびつな唄/山田晃士
4.毒舌-どくじた−NO.8/薫風丸
5.そば道−その4/渡辺隆雄
6.寺田町with橋本潤
7.イルミナシオンレーベル今年のリリース予定
8.CDのお求め方法
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1《ライブスケジュール》
=★
東 京 ★=
●寺田町ソロ
2/24(月) 楽屋(中目黒)TEL.03-3714-2607
「弾き語りDX」
寺田町vsおおはた雄一
●寺田町with橋本潤
3/1(土)
稲生座(高円寺)TEL.03-3336-4480
3/28(金) 7th FLOOR(渋谷)TEL.03-3462-4466
※立川亮とタンゴアカシアーノプロデュース
「虚空遍歴 第3章」にゲスト出演
=★ 九 州
★= ●寺田町with橋本潤
2/8(土) FOLK VILLAGE(北九州・小倉)TEL.093-511-2115
北九州市小倉北区馬借3-3-30-1F
2/9(日) CB(福岡・北天神)TEL.092-732-7575
福岡市中央区長浜3-1-13
2/10(月) ジャンゴ(熊本)TEL.096-355-6960
熊本市新市街1-36
サンライトビルB-1
2/11(火) TABOO(熊本) 問)ジャンゴ TEL.096-355-6960
2/13(木) アクア(諫早)TEL.0957-22-5519
諫早市東小路町5-20
2/14(金) KIRIN(長崎)7:00 start TEL.095-828-0505
長崎市万屋町6-13 花の木ビル3F
2/15(土) DREAM BOAT(福岡・赤坂)TEL.092-713-4233
福岡市中央区赤坂1-11-17 赤坂ウイングアネックス4F
2/16(日) DRUM
SON(福岡・天神)TEL.092-737-5300
福岡市中央区舞鶴1-8-29
2/17(月) プレアデス(福岡・天神)TEL.092-781-0595
福岡市中央区渡辺通5-14-10 佐藤ビル1F
=★ 中部・近畿 ★= ●寺田町with橋本潤
3/7(金) HOUSE OF
CRAZY(豊橋)TEL.0532-55-9000
豊橋市松葉町1-26-2
3/8(土) 常滑屋(愛知・常滑)TEL.0569-35-0470
愛知県常滑市栄町3-111
3/9(日) 遊庵(愛知・藤岡町) (問)大川/TEL.0565-76-4077
3/10(月) TOKUZO (名古屋・今池)TEL.052-733-3709
名古屋市千種区今池1-6-8 ブルースタービル2F
3/11(火) M'AXA(三重・松阪)TEL.0598-56-4825
三重県一志郡三雲町市場庄1148-2
=★ 中部・近畿
★= ●寺田町ソロ
3/12(水) ギャラリー上野屋(三重・紀勢町)TEL.0598-74-2301
三重県度会郡紀勢町崎745
3/13(木) バー・ミルクホール(京都)TEL.075-531-8282
京都市東山区川端四条上ル 第7小橋会館1階奥
3/14(金) OLD TIME(和歌山)TEL.073-428-1950
和歌山市北ノ新地分銅丁15 パークビルB1
3/15(土) スティンク(大阪)TEL.090-3993-8941
大阪市中央区千日前2-3-9 味園ビル2F
3/16(日) SLOW HAND(京都) TEL.075-212-8390
京都市烏丸丸太町南東角NOAH'S
ARK京都御所地下1階
3/17(月) RYUJI(名古屋・熱田) TEL.090-1983-5624
名古屋市熱田区白鳥1-9-8
3/19(水) 圓福寺(愛知・岡崎) TEL.056-445-2142
愛知県岡崎市岩津町檀ノ上85
※この日は昼12時から彼岸法要で30分のミニステージ、
夜7時から本ステージ。
3/20(木) 空色曲玉−そらいろまがたま− TEL.052-251-6949
名古屋市中区新栄3-16-21
3/21(金) 摩訶舎(高山) TEL.0577-34-6950
岐阜県高山市本町3-68
3/22(土) スカンクワークス(一宮) TEL.0586-23-0678
愛知県一宮市本町3丁目4-27 デュエットビル3F
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2《不良中年(見習い)はいかにして作られたか−その6/寺田町》
交友編・その2「いとうたかおさんの巻」
前回なんとなく「交友編・その1」というのを書いてしまったので今回は「その2」
を書いてみようと思う・・・のだが、今回ご登場いただくのは大先輩なので「交友」
などと言ってしまうのはまことにおこがましいというか恐れ多いんだけどどーしても
書きたくなってしまったので、大先輩のやさしさに甘えて書かせていただきます。そ
のお方はシンガーのいとうたかおさん、通称「ペケ」。僕も図々しく「ペケ」と呼ば
せてもらってます。
ペケは俺より9歳年上、3月生まれだから例によって学年で言うと(笑)10コ上で
す。ペケのレコードデビューというのが変わっていて、かの高田渡さんの'72年のア
ルバム「系図」(名盤です)収録曲「あしたはきっと」(ペケのオリジナル曲)でペ
ケがメインボーカルをとり、当時高田渡さんが率いていたジャグバンド「武蔵野たん
ぽぽ団」がバックの演奏およびコーラスをつとめているのです。こうゆうことを平気
でやってしまうのが高田渡さんのホントに素敵なところなんだけど、つまりペケもシ
バ氏、加川良氏、友部正人氏などと同じように高田渡さんに「発見」され、そのステー
ジに呼ばれ自分の歌う場を広げていったひとりなのですね。で、俺自身が初めてペケ
の歌を耳にしたのは'74年の夏FMラジオでペケの初のアルバム「いとうたかお」
(これが今聴くとまたとてもいいんだな)から何曲か紹介されたときで、なんという
か芯はきっちりあるんだけど、どこかサーカスの綱渡りがロープの上で微妙に危うげ
にバランスをとっているような声にいっぺんに惹かれてしまったのね。で、そのちょっ
と後で名古屋に観に行った高田渡さんのコンサートにゲストで出ていたペケを観たの
が俺の「初生ペケ」(笑)でしたね。当時オレ中学2年生。時代はいわゆる「しらけ
ムード」というのが漂い始めた頃だけど、まだ'60〜'70年の余熱も残っていて、その
日も渡さん目当ての客がいて、ペケに向かって野次をとばすのをみて俺はペケに同情
してしまったのだけど、その1年後にやはり同じ渡さんのコンサートにゲストで登場
したペケはすっかり貫禄が出てMCも人を喰った感じで実にかっこよかった。いっしょ
に行った友達がその日の演奏を盗み録りしていて、そこから覚えたペケの「Love
Song」はその後、高校時代アマチュアコンサートで歌う俺の定番メニューとなりまし
た。・・・という風に「ペケの想い出」を書いていくととてもこの誌面にはおさまり
切らないので、突然ハナシは'79年までとぶ。'71年から毎春天王寺野外音楽堂で行わ
れていた大阪名物「春一番コンサート」がこの年で最終回を迎えた。今はなき「新譜
ジャーナル」に載ったそのコンサートレビューはおおよそこんな内容だった・・・
「常連出演者のほとんどが相も変わらぬ感じで、筆者は『春一番』は今年で終わりで
よかったと思う。ただ、一人いとうたかおだけは毎年変わりつづけ、よりリアルな音
楽をもとめつづけた。それを毎年観ることができたのは本当によかった」他の出演者
への批判はさておき、ペケに関するこの筆者(誰だったんだろう?)のコメントにお
けるペケのイメージはまさしく実際に俺がペケと知り合って、その音楽により近いと
ころで触れることができるようになってからも変わることはなかった。というかそん
なペケのライブを間近で(たとえば俺の「ママのランチととびっきりの夜のシャンソ
ン」のモデルのお店で)観ることができたのは若き日の俺にとってとても強烈な体験
だった。まさしく「たましいの震え」そのものを「かたち」として見る思いだった。
その体験はすご過ぎて俺自身の中で消化、そして昇華するのに(おそらく)10年はか
かったのではないかと思う。ここ近年のペケは「静の時代」というか(本人曰く「サ
イレント印象派」)ある時期の激しさはなりをひそめ、声もギターも静かに深くなっ
てきている。その表現の深さはこの時代にあっては気がつかない人の耳には届くこと
がなく通り過ぎられてしまうかもしれないが、俺には「風」のようにたしかに感じら
れる。
そんな敬愛するペケは、出会った頃ほんとに下手くそな小僧だった俺や宮嶋哉行な
んかをかわいがってくれたものです。うれしいけどペケの前に出ると緊張したなあ、
今でもちょっとするけど(笑)。そうそう余談だけど俺が東京へ出てきて初めてライ
ブをやらせていただいた今はなき吉祥寺の「ぐわらん堂」で高田渡さんに「歌うまい
ですね。いい意味でいとうたかおくんに似てますね。」と言われたときはうれしかっ
たなあ。誰かに似てると言われて喜んでちゃダメなんだけど、まだ当時俺は24のガキ
だったからね。
ペケと自分に関しては書きたいハナシはいっぱいあってきりがないので最後にペケ
がアルバム「寺田町with橋本潤」を聴いて送ってくれたメールの内容を記して結びに
します。
「CD良かった・・・・時を経て熟成され確立されたスタイル、たのもしく思いま
した。新しい、唄の地平を開示してくれた寺田町に感謝!いち早くそれを見抜いた橋
本潤に驚嘆、そして脱帽! いとうたかお」
ペケ、ありがとう。お互いうたいつづけていきましょう。
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3《いびつな唄/山田晃士》
その表現の濃さ・クドさで私と抜きつ抜かれつの寺田町こと寺さんから、昨年末ク
リスマスの夜に原稿を依頼された。場所は渋谷道玄坂の居酒屋『和民』。寺さん曰く
「酒の席の話じゃなくて」との事。いやいや往々にして酔いどれ共が「酒の席じゃな
くてさあ・・・」と前置きする時は、まったくもって酒の席ならではの場合が多い。
次の日の朝になれば“熱き語らい”も遙か忘却の彼方。だがしかし、そこは酔いどれ
のプロ寺さんと酔いどれのセミプロの山田の二人である。しっかりと約束は交わされ
たのであった。「何でも晃士の好きに書いて欲しい」とのオファーなのだが一体何を
書けばいいのやら。
寺田町通信初の執筆、オマケに私も寺さんと同じく唄うたいの端くれという訳で
“唄”にまつわるコラムをお届けしたい。しかも私はアマノジャク。素晴らしきを賛
美するのではなく、くだらなきを笑い飛ばしたいと思う。題して『いびつな唄』。
私は歌を“唄う”のは勿論“聴く”のも大好きである。唄は私を雲の上にも奈落に
も連れて行ってくれる。唄という表現はそれを唄う人間の本性を暴露してしまうもの。
ごまかしは効かない。そこが恐ろしくて愉しい。
しかし残念な事に、そんな“唄”以外の“ウ゜ダ!?”みたいなものもあったりす
る。それらを耳にしてしまうと骨の髄まで凍えてしまうので心の毛皮が必要だ。
しかし貧乏な私はフェイクファーしか買えない。気をつけねばならない。注意すべき
は自分がカン違いをなさっている事に気付かぬ方々がマイクを握ってしまった場合で
ある。ものすご〜〜くいびつなのだ。〈カン違いという行為自体は唄にとって必要な
モノ。ROCKなんてカン違いしてなきゃ唄えん。優れたROCK歌手は皆“私、カン違いし
てますよ〜!”と唄っているものだ。〉
歌詞の内容、ジャンル、売れているかいないか、等はまったく無関係。アイドルだっ
て素敵な唄はあるし、オペラだってツラいモノもある。個人的な趣味は一切排除して
話を進めたい。何にせよいびつだと感じてしまう原因は、要は唄い手と歌の関係性な
のだ。
なんでこの人がこの曲を唄うの? なんでそんなにハリきるの?
必要性が見出せない何ともいびつな唄達・・・。
具体的には ファンの方には申し訳ないが、数年前、反町隆史という俳優が
『poison』という曲を熱唱しているのをTVで観かけた時、そのあまりの寒さに地球
上に南極大陸が広がってゆくのを感じた。温暖化防止には良いかと思うのだが・・・。
分かり易い例として挙げているだけだ。別に彼が嫌いな訳じゃあない。
また、今井美樹が『PRIDE』という曲を唄っていた時も背筋が凍った。もっともこ
ちらの場合は、おそらく背徳としての恋愛も絡んでいたかと思われ、その見地から言
うと彼女があの笑顔で唄う時、オカルトに通じるものさえ感じる。あるイミROCKであ
る。例として挙げているだけだ。別に彼女が嫌いな訳じゃあない。
最近では名曲『大きな古時計』を唄う平井堅の眉間に深く刻まれたシワと苦渋に満
ちた表情を観た時、小便まで凍ってしまった。この曲がそんなにつらいのか、平井堅・
・・。その昔、清水ミチコがハトヤのCMソングを感情込めまくりで唄っていたのを
思い出させた。例として挙げているだけだ、嫌いな訳じゃあない。
エディット・ピアフにはエディット・ピアフの唄があり、ジョン・レノンにはジョ
ン・レノンの唄があり、美空ひばりには美空ひばりの、モーニング娘にはモーニング
娘の、寺さんには寺さんの、私には私の唄がある。
好き嫌いは別として聴く者をいろんな所へ連れて行ってくれる唄達。
当たり前でくだらない文章をグダグダと書き連ねてしまったが、最後に以前ファン
の方に言われた言葉を記したいと思う。
「私、晃士さんや寺さんの唄が大好きなんです。
何て言うか、いびつな感じがして・・・。」
・・・・・どうもありがとう。
では、寺田町通信読者の皆様、又
会える日を愉しみにしておりまする。
御機嫌よう。
●山田晃士 au bourbier
ホームページ
http://rose.zero.ad.jp/~zae37596/
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4《毒舌-どくじた−NO.8/薫風丸》
寺田町は元気だろうか。便りがないのは元気な証拠というが
小学生ではあるまいしオレの心はすっかり汚れてしまっているので
そんな根拠のないことを鵜呑みにはできない。
3年ぶりに連絡のあったある友人など店を1件つぶし離婚して借金で大ピンチ。
さらに別の久しぶり友達は新興宗教に夢中になっていて
元気といえば元気なのだがカオルさんもうすぐ日本に神の審判が下りますなんて
そんな元気オレは絶対に認めない。
まあそいつの言うことがもしも本当で日本に審判が下ったとしても
顔の広いオレ様は携帯で金星に電話して迎えに来てもらうので全然オッケーだ。
ちなみに寺田町が元気であることのバロメーターは飲酒量に比例する。
ペリエとか飲んでいる寺田町を見かけたらオレの代わりに蹴飛ばして欲しい。
前略寺田町。そして潤さん。
飲んだくれていらっしゃいますでしょうか。
わたくしは近年まれにみる元気でございます。
エアロビクスやフットサルをするほどの元気ではありませんが
ひと晩に2回ぐらいできるほどの元気であります。
今年こそ寺田町&橋本ユニットとの共演を実現したく
いろいろたくらんでおります。また連絡します。
地球より愛を込めて。カオル。
ホームページと初のソロCD「詩人は夜明けにガムを噛む」を作った。
どちらも素晴らしい出来でこれは自慢せずにはいられない。
アドレスを書いておくので見ないとパンチ。CDの試聴も出来る。アーンド買える。
あなたの運が良ければ紙面をクリックするだけでアクセスできるであろう。
欲しい人はカオルにメールか kaox@land.linkclub.or.jp
ON
AIR
WEST 03-5458-4646 に電話だぞ。
●カオルホームページ http://whoswho.jp/
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5《そば道−その4/渡辺隆雄》
早いもので好評の(?)このシリーズも第四弾。今回はそば文化が育まれた江戸の街
に気持ちを馳せつつ、すし・てんぷらを含めた『江戸三味』の主な商売形態であっ
た<屋台>について、あれこれ思いを巡らせてみよう。
まず、江戸時代に入って外食習慣が生まれた背景。それは何と言っても『天下泰平』
。我が国では中世までは食べるのに精一杯で、とにかくその日一日食えりゃあ良かっ
たもんが、江戸時代になって平和が続いて、都市部では町人などの一般市民までが
『食べる』という行為の中に『楽しむ』という要素が加わってきた。そういった背景
のもと、屋台は生まれてくる。
最初のきっかけはと言うと、皮肉なことに『明暦の大火(1657)』。この火事でなん
と江戸の街の2/3までもが灰になってしまった。こいつを復興させる為に大勢の職人
連中が江戸の街に集まってきた。彼等は、今日で言う『単身赴任』。当然食事に困っ
た訳だ。これが屋台が江戸の街に出現した最初と言われている。まあ、でもこいつは
ある意味火事場泥棒みてえなモンで、その後きちんとした形(?)で、屋台が江戸の街
に定着しだしたのは亨保年間(1716-1736)。元禄(1688-1704)バブルがはじけて、かの
八代将軍・吉宗が引き締めを行った『亨保の改革』の時期だ。値段も手頃で手っ取り
早いのが江戸っ子に受けた訳だ。
この辺りを江戸そばの歴史と重ね合わせると・・・。元禄年間につなぎの技術が確
立され、つめたいそばにつゆをかけて食す『ぶっかけ』が出現、そば人気がドンドン
上がって、うどん店のサイドメニューであったそばが遂に独立して、『そば屋』が出
現したのが亨保元年。そして、深川は洲崎の伊勢屋でそばを小型のざるに盛った『ざ
るそば』が大ブレイクしたのが亨保20年。ちょうどそば屋が育っていったその頃に屋
台そのものも市民権を得ていく訳だ。
ちなみに、屋台そばが完全に市民権を得るのは、このすぐ後の元文年
間(1736-1741)。『夜鷹そば』が江戸の街で商いを始めてからのこと。ちなみに関西
では『夜鳴きそば』。ここまで来ると「ああ、時代劇で出てくるあれだっ!」と、急
に親近感を覚えますね皆さん。あ、だから暴れん坊将軍で徳田新之助が食ってるのは、
夜鷹そばじゃあないですよ。
そして、屋台文化が華開くのは更に下った天明年間(1781-1789)以後。そばでいう
と、いわゆる『種もの』が盛んになった時期。天ぷらそば、花巻、玉子とじあられ、
などなど。ちなみに鴨南ばんは江戸後期、天せいろは昭和25年頃の生まれ(at室町砂
場)ですぞ。
こう考えてみると、そばも屋台も時代の流れと密接に繋がってる訳ですなあ、当た
り前だけど。ちなみに、『江戸三味』の相棒であるすしと天ぷらの歴史も軽く探って
みるって-と。こちらは、ちとそばよりも遅い。長いこと発酵食品であった『なれず
し』(by乳酸菌)から『はやずし』(by酢)が発明されて、江戸に広まったのが宝暦年
間(1751-1764)。そして今日我々が『すし』と普通に呼んでいる『握りずし』に至っ
ては文化文政年間(1804-1829)の登場。そして、天ぷらはと言うと、こいつの方が寿
司よりは早い。安永年間(1772-1780)に魚介類の衣揚げ(当時は串揚げ)の事を『天ぷ
ら』と呼んで、街なかに天ぷら屋台が増えてきた。この『天ぷら』、油を大量に使っ
て調理するのに、「なんで屋台なんかで?」って思うでしょ。ところがどっこい、発
想の転換をしてみなはれ。火事と喧嘩は江戸の華、じゃあねえや、江戸の街で一番恐
れられていたのは、そう火事だったのですよ。だから法律で、室内での天ぷらが禁止
されておったのですなあ。天ぷらが屋台文化のひとつとして華開いていったのは、実
は御公儀のおかげなんだねえ。ちなみに江戸末期になって、高級料亭などで天ぷらを
出すようになってからも、その法律は存在しておったのだが、その頃はもう幕府の力
が弱かったから、金持ち商人どもは違法行為と知りつつ、堂々と天ぷらを食しておっ
たのだ。サツも暗黙のうちに認めとった訳ですなあ。接待なんか受けちゃてたりして・
・・。今で言うソープランドみたいなもんか?えっ、違う?こりゃ、失礼。
しかし、こうして考えてみると、江戸の屋台文化はまさに今の我々の食卓に直結し
ておるのですなあ。更に、初期は同じような立場にあった『江戸三味』のそば・天ぷ
ら・すしが、その後それぞれ違った人生(?)を歩んできたのも又面白い。でも、現在
の立食いそばとか、回転寿司ってかなり初期の発想に近いよね。そうそう、あと街な
かの肉屋の店先で揚げてるコロッケとか。あれウマイんだよなあ。買ってすぐに何も
付けずに歩きながらサクサクッ!!・・・・・なんか脱線したぞ〜。 つづく
渡辺隆雄頂上作戦 http://www12.u-page.so-net.ne.jp/gj8/rappa/
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6《寺田町with橋本潤》
『横道坊主』はもちろんのこと『山田晃士
au
bourbier』『三宅伸治&スワンプトラ
ンプ』で大忙しの潤さんですが、その合間をぬって(笑)今年も『寺W潤』がんがん
やります。
1月18日荻窪ル・ペタルでの2003初『寺W潤』ライブも新曲をまじえて手応え十分。
2ndアルバム制作へのよい刺激となりました。まずは2月の九州ツアー。
九州における『寺W潤』コーディネーター、レイラの協力のおかげで充実したセッティ
ング完了。
『寺W潤』としては、あとはめいっぱいいいものをやるのみです。
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7《イルミナシオンレーベル今年のリリース予定》
アルバム『微熱の街』『寺田町with橋本潤』で素晴らしい仕事をしてくれたエンジニ
ア浪速無仁太郎氏から「寺ちゃん、弾き語りアルバム作らない?」と言われてその気
になったワタクシ寺田町。ソロライブでしかやらない曲もCD化したいな、と思って
いたところなので、あまり気負わずレコーディングしようかと思ってます。『寺田町
SONG
BOOK』と題して早ければ春のツアーに・・間に合うかな?
渡辺隆雄&小澤ベクトル敏也の不思議デュオ『ピカイア』の2ndアルバム、先日2日
間のレコーディングはとてもいい感じで終了。リリースは夏頃の予定。
そして『寺田町with橋本潤』の2ndアルバムは秋リリースを予定しております。
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8《CDのお求め方法》
*ライブ会場で販売します。
*通信販売でダイレクトに!
代金引換郵便でお宅までお届けします。(CD代金+手数料¥500)
寺田町オフィスまでFAX及びEメール、あるいはお電話、
お手紙等でお申し込み下さい。
その際は御連絡先、御希望のCDタイトルをお忘れなく。
*全国大手レコード店で。
店頭にない場合はお取り寄せ可能です。
その際ディストリビューターはヴィヴィッドサウンドコーポレーションと
お伝え下さい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
★
求む!!
★
『寺田町通信』の広告スポンサーになってくださる方。
詳細は寺田町オフィスまでお問い合わせ下さい。
もちろんカンパも大歓迎。現金はもちろん、切手、ふみカード、
宝くじの当たり券、スタッフをねぎらうためのビール券etc...。
お待ちしてます。
※前回カンパしてくださった方々ありがとうございます!!
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今回も最後までお読みいただきありがとうごじました。
ご意見ご感想ご要望などございましたらお寄せください。
なお、印刷の「寺田町通信」には写真も少々載っています。
ライブハウス等に置いてありますのでお手にとってご覧ください。
それではまた。ライブでお会いしましょう。 寺田町オフィス
●寺田町オフィス
tel.&fax.03-5932-1341 e-mail
scara@nifty.com
●ル・ペタル
寺田町応援サイト
http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/7100/tera.htm
●寺田町BBS
http://bbs2.otd.co.jp/272093/bbs_plain
●ヤマグチ私設寺田町応援サイト
http://members.tripod.co.jp/beagoodboy/teradamachi-hp-2.html
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